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初日(連載)

初日だった。
キーボードを叩き続けていると、自分で自分に催眠術をかけているような気分になってくる。
カードに記された情報をただ入力するだけの仕事だ。
岡に指定されたのは回廊を衝立で囲った一角だった。
端末使用が許可されたエリアの中にあり、衝立の向こうで一般利用者もキーボードを使っている。よほどの年代物か、かたかたという独特な音も混じっていた。
目の前にはモニターがあり、右には書籍情報が手書きされた貸出カードがびっしりと箱に詰めて置いてある。
奥の箱には入力し終えたカードが申し訳程度に重なっている。
モニターを挟んだ向かいには備府がいる。目を見張るようなタイピングで次々にカードを片付けている。

「このバイト向いてるかもしれんな」
休憩時間に備府は満足気に胸を張った。
「よし、勝った!」
入力済みカードの束を見比べている。並べるまでもなく備府のほうが多い。
鼻息を荒くして喜ぶ備府を矢追は興味深げに見た。
「すごい!僕もがんばらないとなあ」
「……がんばんなくていい」
備府は口をへの字にした。
「なんで?」
「がんばったら俺より速くなるだろうが」
「そうとは限らないと思うけど。備府より速くなっちゃ駄目なの?」
「したら俺が勝てることがなくなるじゃねえか」
大真面目に言う備府に矢追は吹き出した。
「備府ってほんと可愛いなあ。そんなこと考えてたんだ」
「うっわ完全に上から目線だこいつ」
「少なくとも可愛さでは勝てる気がしないや」
「やめてくれませんかね?そういう気色悪いこと言うの。警察呼びますよ」
「んふ」
「だからそれやめろって!」
備府は周囲を気にして囁き声で怒鳴るという器用な真似を見せている。
「可愛いなあ」
しみじみ呟くと備府は黙り込んだ。
「なんでお前はそういう……」
赤くなった耳に自然に手が伸びる。
「お二人さん、ちょっといいですか?」
矢追は手を引いた。
衝立に寄り掛かるようにして岡が立っていた。

「もうお前可愛いって言うの禁止な」
館長に紹介しますから、と言って先に立った岡の背を追いながら備府は言った。岡にやり取りを見られていたことに少なからずショックを受けたようだった。
「嫌?」
「嫌。気持ち悪りぃ」
「そっかあ。気をつけるね」
「……おう」
回廊を進む。以前入れなかったドームに向かっているようだ。
備府が本気で嫌がったなら「可愛い」と言うわけにはいかない。
矢追はしばし考えこんだ。
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