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三叉路のはなし

「ダーリンの頭の中A」/小栗左多里&トニー・ラズロ

コミックエッセイというジャンルがある、というのを知ったのは、おそらく同著者の「ダーリンは外国人」に出会った時だったと思う。
当時はまだコミックでエッセイを綴るという方法を知らず、単に4コマ漫画の延長のようなものとしてとらえていた。後に知って、日本人のマンガ好きがこうじたジャンルだなぁなどと思ったものだった。

話は著者とダーリン(同作品では既に夫)が言語の不思議を一緒に考えてゆくというもの。
著者は言語に詳しくないマンガ家、片やダーリンは言語オタク。ダーリンに振り回され気味の二人の会話は、大変わかりやすく、難しい言語学の世界もクスリと笑える楽しい世界に変わってしまうのである。

色々な知識があっても、それを生きた知識にするのか、死んだものにするのかは各自の使い方による。特に言語は生き物であって、知っているだけでは何の意味も成さないのだ。
そういう点でダーリンの、言語を使ってみようとする意欲、行動は言語を生きた知識として活用している素晴らしい見本となるのではないだろうか。特定の誰かではなく、誰もがきっともっと言語について勉強したいと思ってしまう、そんな話満載のコミックエッセイである。

同著者のコミックエッセイは他にも出ていますが、おおよそが言語や異文化体験に関わるものです。面白く簡単に学べますので気になる方はぜひどうぞ。

お茶受け

「4時のオヤツ」/杉浦日向子

妹の書棚を漁る、それは新しい感覚と出会う可能性を求めた開拓精神である。
自分が購入する本といえば表紙買い、または小難しい物が多いのだが、妹は違っていた。感覚が違う、ジャンルが違う…雰囲気の違う本を手にすると、それはまだ知らない世界を覗くような、一種の不可解な気持ちを伴う。それが魅力である。

この本は日常を切り取ったような、何気ない会話と「オヤツ」のショートショートストーリーである。
(正直、である、と断定出来ないところがあるのだが。)
昭和の香りが漂う背景、どこにでもある日常を切り取ったような何気ない会話、そしてそこに違和感無く存在するオヤツ達…。当たり前の様に存在する瞬間を切り取り綴るストーリーである。

だが、当たり前とはいかに不確かなものだろうか。
夫婦の会話、友達の、親子のそれらは、いつでも確実に存在するものではなく、やがては形を変えてゆく可能性を含めている。
昭和の背景が相乗効果なのか、非常に懐かしくも大切な瞬間を掘り起こすような、重たいテーマが根底にあるのではと深読みしてしまう。

非常に軽い会話でさらさらと読めます。そして今もう店頭に並んでないのかもしれない懐かしいオヤツが気になると思います。
マッタリした時間を過ごしたい方はぜひどうぞ。
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