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遭遇(やおいとびっぷとどうじんとぽえむ)

学食は空いていた。
矢追はパン2個と野菜ジュースをぶら下げてまっすぐに窓際のカウンター席に向かい、背の高いスツールによじ登る。
小腹を満たしてからサークルに出るつもりだ。

窓からは西日が差し込んでいる。大学の敷地と隣接した公園の緑は夏に向けて濃さを増していた。
二百席ほどの空間は半分ほど埋まり、ざわめきで満ちている。風に揺れる樹々を眺めていると、そのざわめきが葉擦れの音のように思えるのだった。

矢追はかばんを降ろして右隣りのスツールにのせた。
一つ息を吐くと食事に取り掛かる。
焼きそばパンを片付け、あんぱんにとりかかろうと袋を開けた時、右側に二人連れがやってきた。なかなか魅力的だ、と矢追は思った。そしてすぐに彼女らが双子の姉妹であることに気付いた。
髪型や服装は全く重ならないが、横顔のラインやしぐさ、声が時折溶け合うような錯覚を起こすのだ。
ややあって彼女らから目を離し、矢追はごまかすように左を見て驚いた。ひとつ開けた隣りにいつのまにか人がいたからだ。
そんなに自分は双子に見入っていただろうか。スツールは引くとかなりやかましい音を立てるのだが。

左に座ったのは男だった。あんぱんをかじりながら矢追は考える。自分にもし双子の兄弟がいたらどうだろうか。自分とよく似た存在を受け入れることは難しいかも知れない。別々に育ち、成人してから初めて出会った双子はお互いをどう受け止めるのか。
とりとめのない思考は左から中断された。男がむせている。むせているだけでなく、なぜか右手をひらひらと振り回しているのだった。

怪訝な視線に気付いた彼はうつむいた。よく見ると右手からは細い糸が幾本もたなびいている。眼鏡が西日を反射して表情はよくわからない。矢追はかばんをあさるとウエットティッシュを取り出した。
「よかったらこれ使ってください」
(ずいぶんかばんに入れっぱだったけど乾いちゃってないかな。)
矢追はフィルムをはがすと一枚引きだし、湿度を確認した。
「……ど、どうも」
彼は一瞬ぽかんとし、そのあと慌てたように頭を下げた。ボサボサの長髪がバサリと顔を隠した。
「納豆は大変ですよね」
意味なく自分も手を拭いたあとテーブルも拭きながら矢追は笑いかけた。隣りの彼は目を合わせず猫背をさらに丸め、耳まで赤くなっている。
(食べ合わせすごいな)
半分ほどになった納豆巻と一緒に、ピルクルと春雨ヌードルキムチ味が並んでいる。この時間には売店の商品が売り切れていてもおかしくない。残っていたものを買った結果なのかも知れなかった。
(納豆菌と乳酸菌がけんかしたりして。キムチにも乳酸菌入ってたっけ?)
隣りの彼は意を決したように猛然とキムチヌードルに取り掛かった。とっとと食事を終えるのが気まずさから逃れる唯一の手段だと考えたのだろう。
(あ…そんなに急ぐと……)
「ガフッ」
やはりまたむせた。彼の内心を想像し、矢追までいたたまれない気持ちになる。
(友達だったら笑い飛ばしてやれるのにな)
自分が席を立つことがお互いのためだと判断し、矢追はスツールから降りると荷物をとった。
背を向けたところで声がかかった。
「あ、あのこれ…」
ぼそぼそして聞き取りにくいが、「忘れてますよ」と言ったのだろう。テーブルの上の開けたばかりのウエットティッシュを彼は指差した。
「ああ、もらってください。僕使わないんで」
視線がなかなか合わないな、と思いながら矢追は言った。
「……ありがとうございます」
困ったような顔をして彼は礼を述べた。
(ヌードルをひっくり返したりしなければいいんだけど)
矢追は学食を出てサークル棟へ向かった。

「紙とインクを愛する会」と相撲字で書かれた看板のかかったドアを開ける。
大学設立と同時にできた由緒正しい同好会らしいが、平たくいえば同人誌発行サークルだった。内容に特に制限はない。百名を超える部員は月に一回の会議で紙面を奪い合い、小説、詩、俳句、短歌、エッセイ、評論、漫画などがごった煮の厚さ3センチの部誌を発行していた。
十二畳ほどの空間は埃と紙とインクの匂いに満ちている。
矢追は横たわっている堂仁を見つけると肩を揺すった。
「おーい、生きてる?」
かばんからお茶と栄養ドリンクとおにぎりとシュークリームを取り出す。おにぎりのフィルムをはがすと、堂仁はむくりと起き上がった。
「はいどうぞ」
おにぎりをむさぼっている堂仁の周囲に原稿は見当たらない。かけもちしている漫研の〆切には間に合ったのだろう。
「代返しといたよ。来週は頼んだ」
コピーしたノートを渡すが、理解しているかは定かではない。口の周りについたクリームを見てウエットティッシュを探し、そういえばもうないのだと気付く。
全て平らげた堂仁はやっと矢追を見た。
「ありがとな」
(よく感謝される日だ)
「まあ来週は立場が逆になる予定だし」
「胸を張るな。俺が言うのもなんだけど早めに上げろよ」
「頼りにしてます」
「お前今回字だろ?何を手伝うんだよ」
「応援とか?チアガールのかっこで」
「なにその米軍に売り込めそうな視覚兵器」
堂仁はぐにゃりとまた横になった。
「もうちょい寝るわ」
「はいはい」

あっという間に寝息を立て始めた堂仁の横で、矢追は発行されたばかりの部誌を開いた。
巻頭特集は漫画におけるキャラクター分類に関する批評だった。「ツンデレ」「ヤンデレ」「どじっ子」「天然」などの単語が並んでいる。
ガチャリとドアが開き、小柄な人影が入って来た。
「久しぶり、穂江さん」
「…久しぶり。堂仁君は〆切間に合ったみたいね」
(穂江さんはクーデレというやつだろうか)
「機嫌いいのね矢追君」
「わかる?なんかいいネタ思い付きそうな予感がするんだよね」
「そう」
納豆巻の彼はどじっ子だろうか?
(キャラクターならともかく、人格を分類するだなんて傲慢だよね)
二言三言交わしただけの相手の何を知り得たというのか。
「よかったら今度『双子』をテーマにして一冊作らない?」
「……新入生には双子が多いらしいわね」
「あ、そうなんだ」
あの美人姉妹も一年だろうか。
堂仁が寝返りを打つ。
矢追は納豆巻の彼の顔を思い出そうとしたが、振り回していた右手首の細さだけしか浮かんでこなかった。
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