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忘れないやうに。


本日、身勝手極まりないそれで振り回しちゃってダメなことしちゃったのに、ラヴレターつきのドーナツの入った袋と彼のジャケットが車の座席に置いていた彼をひどく愛おしいと思ってしまったよ。私は忘れん坊だから、記しておきたい。何年振りかってくらいに誰かを好きになるのは久しぶりだし、ほんとうに夢のようだと感じるし醒めなければいいのにとも思う。地震の件があってから、死が隣り合わせで死ぬことが恐ろしいと強く感じることができたのも今ある生活のおかげで。そしてこれがなくなった暁には私は生きていくことができないんだろうなって。何かに縋りつくのも面倒になっちゃうんだろなって。死が恐ろしいクセに死にたがりなんてどこの厨ニ病患者だつって。でもみんなだいたいそんなもんでしょ、似通ってんでしょってカンジで。相変わらず生きていたくないの一点張りだけど、じゃあ死にたいのかって聞かれるとそうじゃなくて。なんていうか、今あるものを大切にしていきたくて、そうじゃなかったら怖いぢゃんって言いたいの。だってすごいんだよ、彼のいうこれからっていう言葉には私がいる。こんなに、自己を認めてくれる存在がいるってことがどれほど気持ちが温まることかと。思わず涙が出てしまいそうになるくらい、周囲にとっての当たり前は、私にとってそれは奇跡で。大袈裟なのかもしれないけど、これは私が日々感じていることで。誰かに施してもらう=それには理由や理屈や好意が必ずあるんだ。噛み締めて、忘れちゃいけない。私も何かを施したいとも思う。過去のそれに縛られて相変わらずの臆病者の私に何ができるんだろうって悩み続けるよいつだって。

ありがとう。こんな与太話に目を通してくれて。吐き出す場が私には必要で。それじゃまたね。

無題


週に一度作る母の手料理は、私の好きなものを中心にしてくれる事も大切な友人が送ってくれる言葉の数々も、恋人が私の腰に腕を回して抱きしめてくれることも、誰かが私に施してくれることも、決してそれらを当たり前だと思ってはいけない。それらには必ずしも理由やりくつがあることを忘れてはいけない。なむなむ。そうやって自己暗示して、感謝の心を忘れずに。そうして態度に出すという苦手な面もクリアしつつ。難しいねつって。

どうも最近、疲労困憊らしく体が追いついていないやうな状況でいやはや情けなく思う。体がもうお前はゆっくり休んでくれと言わんばかりに重たい瞼は閉じてゆくばかりで。嫌になっちゃうね〜。

気づけば季節はあっという間に6月に突入してしまっていて時の流れに驚いております。ほんでまたいつのまに冬が来たの〜寒いのやだよ〜って言っちゃうんだろな、、バカみたい(笑)

ねえ、一つ自慢話をしていいかなって。誰に尋ねているのか明白ではないけれど。
約三年ぶりに、異性を愛することが出来たよ。
今度は、っていう言葉を使うのは間違っているのだろうけど……失敗のないやうに、失礼のないやうに、気をつける気をつける気をつける。思いやることなんてできないだろって、人の気持ち考えるの苦手だろって言われた言葉に真っ向から向かい合いながら。上手にしようと思うからいけないのか。出来ねえ事を完璧にこなそうとすっから、ミスが起きるんだろって自分に叱咤して。半分眠りながり入力しとうよ。あかんね(笑)

頑張るよ言うてな。


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