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夢の影(メルヘンジョー)

彼女は眠っている。透き通った水に沈み、甲羅から鼻先だけを出して眠っている。
夏至の日も山の向こうへ去り、辺りには薄闇が降りていた。
彼女の小間使が屋根をかけ忘れ、頭上には星空が広がっている。
静かな宵だった。時たま蛙が思い出したように静寂を破るが、彼女はやはり眠っていた。
そこへふわりと影がやってきた。影はカラスによく似た形をしている。
影は彼女にそっと歩み寄り、声を掛けた。
「もし、お嬢さん」
彼女は眠っている。影は少しためらったあと、彼女の甲羅を控え目にノックした。
彼女はきゅっと縮こまり、それからぐっと伸びをしてあくびをした。頭を左右に振り、影に気付いて首をひねった。
「こんばんは」
影は恭しくお辞儀をした。
「こんばんは。どちら様?」
彼女は好奇心たっぷりに影を見た。
「旅の者です。おやすみのところ相済みません。この辺りで、私によく似た者をご覧になりませんでしたか?」
彼女は首をさらに伸ばして影をしげしげと見つめた。影からは冷たくて古いにおいがした。影はカラスに似ていたが、じっくり見れば見るほど輪郭が曖昧になっていくようだった。
「お役に立てそうにないわ」
彼女は少し怖くなり、首を戻して左目の横を前足で掻いた。
「そうですか」
影は心底残念そうにため息をつくと、気を取り直したように彼女に尋ねた。
「お嬢さんはいつからこちらにお住まいなんですか」
彼女はいつもの場所によじ登り、縁に掴まっている影の鉤爪に目を見張った。
「わからないわ、ずっと前からここにいるの」
「そうですか」
「あなたはなぜ旅をしているの?」
「人を、探しているんです」
「早く見つかるといいわね」
影は微笑んだ。
「あなたも一緒に行きませんか」
冷たくて古いにおいが強くなったようだった。彼女はしっぽがなんだか冷たいような気がして、くるりと甲羅の下にしまった。
「行かないわ」
「……そうですか、残念です」
「寝ているときはいつも旅をしてるのよ、わたし」
彼女はさっきまで見ていた夢を、水面に鼻をつけて泡をつくりながら思い出した。
「さっきまであの山の向こうにいたの。広い広い森があって、その中に一際大きな樹が生えていて、根元は泉が湧いていて、そこには小さな龍が一人で住んでいる。目はもみの葉みたいな緑で、鱗は銀色、角と爪に貝の内側みたいに虹がとけていて、たてがみは白くてふさふさしていた」
彼女は重くなってきたまぶたを無理矢理持ち上げて影を見やった。
「龍が『一緒にいてくれ』って言うんだけど、あそこはわたしには冷たすぎるのよ」
影は静かに彼女の話を聞いている。
「あなたもしあの龍にあったらお友達になってあげて。とてもさびしそうだもの。わたしはもちろん友達のつもり。会えなくてもね」
目を閉じたまま彼女は続ける。
「ごめんなさい、もう起きていられそうにないわ」
間もなく彼女は眠りについた。
「……おやすみなさい。いい夢を」
影は舌なめずりをすると空へ飛び上がった。
「なんて美味しそうな夢なんだ」
影は西へ西へと飛んで行く。
夜明けに追いつかれないように。

朝(ニー速とニーぴん)

黄色い太陽に攻撃された目をこすりながら家のドアを開ける。
「おかえりんこ」
パソコンの前に座った愚弟が椅子を回転させながら迎えてくれる。
「ただいまんこ」
風呂に入るのも面倒だ。いそいそとよってくる弟を手のひらを向けて止める。
「手洗ったか」
「あらったあらった」
「ならばよし」
弟は床に放り出したバッグを開け、ケータイを取り出して充電し、ストッキングを脱ぐのを手伝ってくれる。
風呂は沸いている。適当に脱ぎ散らかして風呂場を開ける。脱衣所にはタオルと部屋着がすでに用意されている。
風呂を出ると脱いだ服は片付けられている。
スキンケアを終え生乾きの髪でベッドに飛び込むと丁寧に乾かされる。全身指圧のフルコース。
「早く仕事見つけて出てってくれない?あんたがいちゃ男も連れ込めないんだけど」
「おとこなんていないくせに」
「あんたがいなけりゃつくれんのよ」
「たまごとにわとり」
「ナマ言ってんじゃないよ」
気がつくと寝ている。起きるとベッドの下でみのむしになっている弟を蹴り起こす。
「ポテトオムレツとトマトジュースとイングリッシュマフィン」
「ぎょい」いいともを見ながら朝食を取る。
「ビーフストロガノフ食べたい」
「りょうかい」
「あんたいつまでここにいんのよ」
「いつまでも」
「あたしが死んだらどうすんの?」
「死ぬ」
「馬鹿じゃないの」
「うん」
「うんじゃないわよ」
「うん」
弟は笑っている。
私は笑いをこらえている。
外は明るい。

ピクニック(ギャルゲ企画)

「ピクニック行きたい」
立ち上がったムニ子が唐突に口にした。
「行ってらっしゃい」
仁王立ちのムニ子を見ないままソファに横たわっているグロ子の手を捕らえ、ムニ子は繰り返す。
「ピクニックに行きたい!」
グロ子はため息をついた。

梅雨の晴れ間があんまり気持ちがいいので、つい自転車を走らせている。
カニ子が通り過ぎる瞬間に道沿いの犬が順に吠えていく。
カニ子はなぜか犬によく吠えられるが、本人は気にしていない。ご近所さんに「あらカニ子ちゃん出かけたのね」と思われていることも知るよしもなかった。
(せっかくだから足を伸ばして中央公園に行こうかな)

『というわけだから、ピャー子はお菓子担当お願いね!』
言うだけ言って電話は切れた。
「お菓子ったって……」
ばかうけぐらいしかないぞ、と思いながらピャー子は出掛ける準備を始めた。
(訊かなかったけど彼もくるのかしら)

「うお、すげえ」
カニ子が中央公園の木陰に自転車を停めてぼんやりしていると、目の前を蝶が横切った。
空色に金色がほんの少し入った夢のように綺麗な蝶だ。大きさは手のひらほどもあるだろうか。
輝く木々の緑の中に溶け込まない美しさは著しくカニ子の興味を引いた。
自転車を放置してカニ子は蝶を追いだした。捕まえようという気もない。もっと近くで見てみたいのだ。
蝶はカニ子をからかうかのように高く低く舞っている。
(きれいだな)
空色は空に溶けそうなほど空色で、金色は日の光を跳ね返して本当の金粉のようだ。

「あれ?カニちゃん?」
なかば飛んでいた意識を引き戻したのは良く知った声だった。
「…ムニ子さん!グロ子も!いやあ偶然ですね!」
レジャーシートを広げている二人に駆け寄る。
「カニちゃん何してたの?」
ムニ子の頭の上のおだんごを眺めながらカニ子は答えた。
「すっげぇきれーなちょうちょがいたんですよ」
振り返ってみるが、とうに蝶の姿はなかった。
「蝶々?」
半笑いでグロ子が口を挟む。
「でっかくて水色と金ですげーの。あんなん初めて見た」
グロ子がにやにやしているのも意に介さず、カニ子はレジャーシートの真ん中に鎮座しているバスケットを凝視している。
「良かったらカニちゃんも一緒にどう?お弁当山程あるし、ピャー子がお菓子買ってくるよ」
「いいんすか?やべえまじうれしー」
今のカニ子の目は何より眩しく輝いていた。

「ピャー子、ほらピーチティーあるよ」
「ありがと。今日ほりぞん君は?」
「一応メールしたけどどうなんだろ。まだバイト終わらないんじゃないかな」
「そう」
「うめぇうめぇ」
「ちょっとカニ子いつまで食べてんの?空気読みなさいよ」
「いいんだよカニちゃん、グロ子は気にしないで好きなだけ食べて」
「あざーす」

「ねえグロ子、ムニ子さんとピャー子さんってほんと仲良しだね」
「そうだね」
「膝枕しておくれよ」
「はあ!?」
「こっちはこっちで仲良くやろうぜいひひ」
「満腹で眠くなるとか本気で五歳児並じゃん」
「ちょっ何怖っグロ子ってばエスパー!?サインください!」
「うるさいな!五分だけだよ!」
「ありがたやーエスパーの膝枕ありがたやー」
「落とすよ」

「良く寝てるわねー」
「五分って言ってたのにグロ子やさしー」
「おねえちゃん替わってよ……」
「やだよ絶対しびれるじゃん。ほりぞん君今からアイス買って来るって。何がいい?」
「ほりさま!?アイスはスーパーカップのチョコレートチップでお願いします!」
「「「あ、起きた」」」



お姉さんキャラのかけらもないね!
グロ子さんのたとえが素敵だったのでちょうちょ追いかけさせてみました
許せる!

書いててすごく楽しかったです

土曜日のピーマン(そうじとシャワートイレ)

ガストのハンバーグを食べ終わっても、まだメールの返事は帰ってこない。

「八幡くん」
「爽島」
そう呼び合うようになって8年経っていた。中学に入って初めての席替えで隣りになったその日から。
呼び名は変わらなかったが呼び掛けに含まれる感情は変化した。変化し続けて、今に至る。
(きっと今日はサークルの仲間と飲みに行っているだろう。そこにはあの子がいるのだろう。朝帰りしてきてあっけらかんと謝るに違いない)
爽島の準備は万端だった。

合鍵で部屋に入ると服をジャージに着替えてマスクをし、髪をまとめて三角巾で覆う。エプロンをつけてポケットにゴム手袋を入れておく。心が浮き立って来るのがわかった。
私物をまとめる。部屋着とバスグッズ、ドライヤー、マグカップ、貸していたCD、本、枕、携帯の充電器。手際よくキャリーケースに詰め込む。十分とかからなかった。キャリーケースは玄関に置く。
(軽い)

部屋干ししたままだった洗濯物を取り込み、きれいにたたんでクローゼットにしまう。
自分が普段からこまめに掃除していたのはこの日のためだったのではないかという気すらしてくる。
ハンガーを外に出し、ベランダを確認する。余計な物はない。ポリバケツに分類済みのゴミがあるだけだ。窓を拭くのは明日にしよう。
窓を閉める。6畳のフローリングの部屋に上からはたきをかけていく。エアコンのフィルターを外して風呂場に置く。雑誌の間になにか挟まっていないかめくって確認する。手袋をはめる。濡れぶきできるものには消毒液をつかった。布団カバーの類ははがして洗濯機に放り込む。
(これも明日)

爽島の部屋に八幡の痕跡はとうにない。消す必要もなかった。半年前に一人暮らしを始めてから、八幡は一度も爽島の部屋に来ていない。
冷蔵庫を開ける。予想通りほとんど空だった。しなびたモヤシを捨て、拭く。電子レンジも拭く。
床は埃を舞い上げないよう静かに雑巾をかける。
(動いた分だけきれいになる掃除はとても理にかなっている)
しかし掃除をすることが理にかなっているわけではなかった。

八幡との8年を思い返す。彼に甘やかされてばかりだった、と爽島は思う。
台所の流しに水をため、ヤカンに湯を沸かす。流しの下の物を出し、拭いて元に戻す。湯が沸いたら流しに足してぬるま湯にし、重曹と洗剤を溶いて換気扇と五徳を漬ける。
湯が冷めるまでにトイレを掃除する。トイレットペーパーのストックは充分だった。
古い歯ブラシで換気扇と五徳の汚れを落とす。水を抜いてよくすすぎ、乾拭きして元の場所に戻す。蛇口周りをナイロンでみがく。
(今日はここまでにしておこう)
明日は6時に起きるのだ。
メールはまだこない。

体が痛かった。布団を使う気になれず、枕だけで床に寝たのが原因だ。
シャワーを浴びる。鏡を見るとやはり楽しげな顔をしている。ずっとこうしたかったのかも知れない。彼の心変わりのせいになどできないのかも知れない。
服を着て髪を乾かし、紅茶を淹れてゆっくり飲んだ。
エアコンのフィルターを洗い、窓を拭き、風呂場を掃除する。
布団にコロコロをかけながら、間抜けな名だ、しかしコロコロとしか呼びようがないのも確かだ、と思う。

9時になるのを待って洗濯機を回し、爽島は商店街の朝市に出かけた。買う物は決まっている。
快晴だった。詰め放題のピーマンはつややかだった。薄いビニールを手に取る。
「おねえちゃん、袋はこうやってのばしてからじゃないと」
六十がらみの婦人に声をかけられる。
「一袋百円だから二十個は入れないと元取れないわよ」
婦人はにこにこと笑いながらみっちりとピーマンを詰めている。
青臭いにおいがする。

八幡はピーマンが好きだった。爽島はピーマンが嫌いだった。給食でピーマンが出ると、いつも八幡に食べてもらっていた。
ピーマンを食べられるようになったのはいつだったか。最近では美味しいと感じるようにもなっていた。
それでも八幡はまだ爽島がピーマンを嫌いだと思っている。彼女が八幡にピーマンを渡し続けていたからだった。おたがいにとってそれは習慣で、彼が好きなものを食べられるのなら満足だった。

部屋へ戻り、冷蔵庫にピーマン5袋分を詰め込む。食べきれないだろう。あの子もピーマンが好きだから、二人でパーティーでも開けばいい。
洗濯物と布団を干し、玄関を掃く。掃除は全て終わった。ゴミも捨てて来た。メイクも直した。あとは帰りを待つだけだった。

「……ごめん、メール気付かなかった」
「いいよ」
「ほんとごめん、OBとか来て盛り上がっててさ」
「うん」
「……ちょっとシャワー浴びてくる」
「わかった」
驚くほど心は静かだった。今なら何をされても許せるような気がしていた。
彼にされたいたずらの数々を思い出す。
彼がするいたずらにあの子はどんなふうに笑うのだろう。
ふと思い立って風呂場の扉を開けた。八幡は体を洗っているところだった。
「なんだよ」
「なんでもない」
にやりと笑って見せると、笑い返してくる。
(好きだ)
「流すぞ、かかるから出ろよ」
「流したげるよ」
シャワーヘッドをとり、湯になるのを待たずに浴びせる。
「うわっつめてっ」
「ふふっ」
泡が流れ落ちる。爽島はシャワーヘッドを放り出すと八幡を押し倒した。
「おいどうしたんだよ」
顔中に口付けた。
「爽島?」
しがみつくと頭をなでてくれる。
「八幡くん」
「うん」
「八幡くん大好き」
「うん」
目をのぞき込む。シャワーの音が優しく響いている。
「……もう行くね」
「……」
「八幡くん他に好きな人できたんでしょう?」
「……」
「ありがとうね、今まで」
どこかで聞いたようなせりふしかでなかった。疑問ではなく、ただの確認だった。
スニーカーに足を突っ込んで爽島は外に出た。やはり快晴だった。

冷蔵庫をあけた八幡は何を思うだろう。
もしかしたらそれはそれとして美味しく食べるのかも知れない。しかし、八幡がピーマンを好きじゃなくなっている可能性だってあるのだった。爽島が実はピーマンを嫌いではないように。

(これをきっかけに大嫌いになったりしないかな)

濡れた顔を日差しに照らされ、爽島はやけにビブラートのきいた鼻歌を紡いだ。
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