鏡の最奥(ギンコ/蟲師)



それは、誰も知らなかったこと。淡い淡い秘密。

の最奥―

近くで鶯が鳴いた。
ぽとりと、昨日いけた花が畳の上に落ちた。
私はある程度の予感によって玄関先へと急ぐ。

案の定。玄関の横で平たい石にあなたは腰掛けていた。ぼうっと、遠くにある近いものを見るように空を眺めて。空には雲さえ無かった。

「……よ、元気だったか」
「まぁね。あんたは?」
「それなりに」
「そう、よかった」

何年も会っていなかったのに、昨日別れたばかりの気がしていた。とりあえず二人して軽く挨拶して、ゆっくり玄関をくぐり屋敷の中へと入っていく。

あなたが家に来るようになったのは、いつからだろう。―――思い浮べてみても、具体的な年月は分からない。
ただ知っているのはあなたの来訪は全て私の姉さんの為だと言うこと。

がらり。

襖が勢い無しに開けられて、いつもの部屋へと続く。大きな姿見の有る部屋に。

「……相変わらず、か」

渋そうに眉間に皺を寄せてあなたは言った。私は俯いて頷いた。

「……芽〈メイ〉姉さんは鏡から出てくるつもりなんて無いのかも知れない」

「あ?」

私が珍しく姉について語ったものだから、あなたは驚いたように左後ろに振り返って私を見た。

「そりゃ、どういうことだ、杏〈アン〉?」
「そのままの意味よ」

私は鏡の前まで進む。姉さんが中で眠っている姿見の鏡の前に。
その姿はまるで私が鏡に映っているかと思わせる程に私と似ていた。―――当然だ、姉と私とは双生児なのだから。
少し違う点はと問えば、それは姉の華々しさと私の粗末さとだけだろう。
そのくらい相似していて、そのぐらい姉と私は違うのだ。後は何もかも等しいのに。……好きな食物も動物も、好きな人、さえ。

「姉さんが、羨ましい」

私は鏡を撫でながら言った。あなたは黙って私の独白を聞いてくれていた。

「――私は昔から、芽と杏じゃなく“明”“暗”だと想ってた。だって、姉さんはいつだって太陽だったから」
「………」
「だからとても羨ましかった。今も」

ほら。姉さんは今もあなたを独占している。そうして鏡に喰われることで、あなたの訪問を確実にしている。――わたしだって、すき、なのに。

なのに。
何もかも姉さんの思い通りにしか、動かない。

「……今も、羨ましいのか?」
「そうよ」
「こんな姿見に喰われていることが?」
「ええ、羨ましい」
「――もう、出てこられないとしても?」

私は沈黙した。
分かってる、本当は羨むことなんて出来るもんじゃない。分かってる。こんなちっぽけな姿見の花嫁になってしまえば、こうしてあなたと喋ることすら出来ない。そんなのは、嫌だ。

だけれども、あなたは此処に何の目的が有って来ている?
もし姉さんが居ないならば此処へは来ないでしょう?

――私は、沈黙した。
あなたと会えないのはつらすぎるから。

「……杏」
「なぁに」

姉さんが居なければ、あなたが私の名を呼ぶことも無くなる。ならばいっそ――姉が鏡から出てこなければいい。
あなたはそんな疾しい考えに囚われる私に言った。

「……俺は、闇が嫌いじゃない」
「え?」

葉巻の煙がふわりと消えた。同時に、私の浅はかで汚らしい考えも消えた。

「太陽だって、悪くは無い。けどな、俺には眩し過ぎる」
「……そう」
「それに、太陽もこんな所じゃ輝けないだろ」

正にその通りだった。
でも、私にとってはあなたが『闇が嫌いじゃない』と言ってくれたことの方が大きかった。嬉しかった。

「杏」
「……なに」
「姉さんはどうして鏡に喰われたんだろうな」
「さあ」
「もう出られないと知ってた気がするんだが」
「……私には、分からないことよ」
「そうか」

あなたはまた空気に煙を溶かした。それは僅かに弔いの煙にも見えた。
その時、私はようやく理解した。
――あぁ。芽姉さんは、既にこと切れているのね。
それでもあなたが此処に来ていたのは、多分……

「――ねぇ、」
「ん?」
「また、姉さんを診に来る?」
「……あぁ。きっと、な」
「ありがとう」

それは、これからも誰も知らないこと。淡い淡い、儚い秘密。
鏡の最奥に閉じ込めた想いは、いつ解き放たれるのでしょうか。




…………………………
あなたはやさしい。こんなわたしをしんぱいに想ってくれてる。
だから、ありがとう。