スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

ついに そろそろ

一般大衆に対して、真実を詳らかに公表する時が、来たようです。

存在する事を呪う。

私のこと、存在する事が゛悪゛なのか、生きて居る事が゛悪゛なのか、自分自身、自らの存在を疎ましく思う。
アクシデント続きの人生だから、この命を返す時なのか・・・


それに、ファンの横繋がりで、強力な裏工作の臭いを凄く感じ、それは悪意在るプレッシャーとして、私を取り囲んで居る。

私に関わりあるイベントには、一人たりとも行くな、という指示がされたのでしょう。その力に拮抗するだけの力は、今の私は持ち合わせてはない。
多分、私は早晩、反私の勢力により文字通り、この世から屠られるでしょう、私が消滅したら、屠られたと思って貰って良いです。
それだけ、その”反私”勢力は闇社会と深く繋がる紳士録を持つ。故にそんな勢力のシンボライズのアーティストが世にのさばるならば、まさにカタルシス、強力なハルマゲドンが始まるだろう。シンボライズも悪に加担した節が濃厚、そのシンボライズを信奉する信者も同罪かと。
いよいよ、グランカタストロフィが幕を明け、この世に魑魅魍魎が跋扈し闇の妖怪達が百鬼夜行するだろう。
真の世紀末になるだろう。

点と点

芸能、特に演歌という世界、誠に縦の社会である。
旧きを重んじ、新しき胎動忌み嫌う変わった世界。
かつて、松竹の息吹の一つヌーベルバーグなる風を封印し未だ旧態依然とした抽象的な観念に縛られた特殊な世界、しかし、新しき胎動、新しき風は次なる世の幕開けを産み新しきスタイルの世界を構築する兆しを生むので在る。

’過去’を隠し・・・

活動し、過去の悪業が露呈する程、狡猾で愚息、予め過去の悪業を語っての活動のほうが清々しく、ある意味潔いだろう。
過去をいくら封印しても、綻びは必ず白日の下に晒されるは必定。
続きを読む

まだまだ、居るのですね?

所謂、輩という存在。


即ち、在りもしない話をさも修飾語(はったり)若しくは自ら誇大し、まことしやかな話を捏造し話を持ってくる輩、私は事が動き出す前に、撤退しました。
しかし、私が仕込んだ話はビジネス上、しゅくしゅくとビジネスライクに徹しますが、私に負荷を与えたペナルティーはしかるべき形をもって、その輩に償いさすます、今の現代にまだこの芸能界に、こんな輩が存在するのには、誠滑稽でしかたありませんね。
前の記事へ 次の記事へ