に観た、あるダンスのお披露目会
コロナの影響で本来あった舞台が中止になり、それでもせっかくだから出演者の身内だけに声を掛けてお披露目会をする、というものだった
私の好きな子もそれに参加するということで、仕事の帰りに見に行った
スタジオを一室借り切ってのお披露目会。何曲かお披露目され、それ自体はとても良かったと思う
全ての演目が終わり、出演者が横一列に並んで挨拶をしていた
最後に、出演者達が主催にサプライズで色紙をプレゼントするという時間があった。もちろん客の私達も初耳だった
急にサプライズの時間を設けられて、急に始まって、如何にも「客の皆も一緒に祝ってね」という雰囲気
ひとつの密室という空間で、半ば強制的に拍手を強要される時間。私は主催も、なんなら好きな子以外は誰も知らなかったのに
打ち上げもできないのならまだ納得できた。けれど、事前に『お客さんも希望者を混じえて店で打ち上げをする』という話はされていた
それなら何故打ち上げでやらないのか。何故、客の貴重な時間を無理やり奪ってまで自己満足のサプライズ時間に付き合わせたのか。こっちは金まで払っているのに
その時点で、「この団体の人間達は、こういう自己満足を喜んでやるような奴らなんだな」と思った
いくら好きな子とはいえ、それだけで少し嫌になりかけた。なぜなら、そのサプライズの間中とても楽しそうな顔をしていたから。これはこの場にいる全員が同じ気持ちだと信じて疑わない顔
そしてそういう雰囲気を許してしまうような人種の主催なんだなと同時に思った
サプライズは、主役へは勿論、サプライズに関わる全ての人への配慮を忘れてはいけないのに
ましてや、身内感丸出しの自己満足にお客様を巻き込むなんて以ての外
私が主催だったら、本気でブチ切れて出演者達を叱っただろう
二度とこの人達のイベントは観たくないなと素直に思った
その後、好きな子が物凄く推している共演者の女の子を紹介してくれてご挨拶したけれど、本当に何も話すことが無くて困った。思わず態度が悪くなってしまったことは今でも記憶している
それでも観たからには感想を送ろうと好きな子にLINEした
よっぽど色紙の件を書こうかと思ったけど、コロナ禍で大変な中で必死に企画したお披露目会。水を差すようなことは書きたくなかった
たからグッと我慢して、純粋にダンスの感想だけを送った。素人なりに素直に感じたことをありのままに。否定的なことは一つも書かなかった
彼女から、「主催に見せたら『文面をSNSに転載してもいいか』と打診があった」と返信が来た
特に困る理由も無かったので快く了承した
後日、主催が自身のInstagramに数人分の感想文のスクショを転載していた。私の感想文も混じっていた
私が書いた感想文に対してか知らないが、要約すると「そういう視点ではダンスを作っていない」というようなニュアンスの文章が綴られていた
つまり私の視点は、主催にとって解釈違いであり、意図しないものであるということらしかった
匿名だったとはいえ、客の私が何故そんな仕打ちを受けねばならなかったのか
客の視点や解釈を否定するなんて、表現者にあるまじき行為ではないか
加えて、これは意見が別れるだろうが、作品について後からダラダラと解説するのは私は無様だと思っている
問われれば勿論お答えしても良いと思うが、聞かれもしないのに自分からベラベラと書き連ねるのは非常に格好が悪いではないか
格好悪いし、それこそ客の自由な解釈を阻害するものだと思っている
造り手の意図とどんなに異なっていたとしても、造り手は決して客の解釈を否定してはいけない
悪意ある感想や暴論ならならその限りではないが
こういったことがあり、本当にその人間達が嫌いだし憎いし苦手だし、二度と顔も見たくない
好きな子と付き合いがある以上は、なんだかんだと顔を見る機会もあるので毎回嫌な気持ちにはなるが
ただ、もしかしてあの場で疑問を感じていたのは私だけだったのではないかと、たまに思うことがあった
そしたらおかしいのは、私の方だったのだろうかと
けれど、私が信頼する数少ない友人たちは私の意見に共感してくれた
私は、私の記憶と経験と信念を変わらず信じてやろう
常に疑い続けながら、常に誰よりも信じてやろう
そう思えるのは、友人達のおかげだ
ああ〜〜マジで二度と会いたくない。二度と観たくない。こんだけ人を嫌いになることもあんまり無いんだがなあ
誰かを嫌いだと想っても、100%の内の数%であって
100%まるまる嫌いだと思う相手は滅多に居ない。それくらい嫌い。なんなら殺意さえわく