こんばんわず。
ユウスケです。
今日は色々あってへこんでます(笑)
なんていうか俺らしくはないというか…うーん( ^ω^ )←
あとね!
国試近いから黒染めしたんだけど!!
本当似合わない(;_;)
日本人なのに黒髪似合わないとか致命的すぎる(;_;)
おっかあ曰く『あんたはじーさんに似て鼻が高いからね。』だそうだけども。
そんなに高くはないと思うけど(笑)
つうより俺はじーさんに似てないよ!
あんな昭和のスターみたいな顔してないし(笑)
よく雰囲気は似てるって言われるけど( ^ω^ )←
あと背が小さいとことか…←
うちのじーさんもう亡くなって十年近くになるんだけど。
ものっすごいファンキーなじーさんだった。
コーラ大好きでジャンクフード大好きでロック大好きでバイクが趣味で…
俺でもビックリするくらいの女好きだった…!!(笑)
女の人とあればどんな年代も問わずに口説いてたしな(笑)
ほんでそんなじーさん亡くなって十年近く経つというのにじーさんが若かりし頃に弟分としていた近所のじーさんがいるんだけど。
そのじーさんが最近呆けて来ちゃって。
俺これでも毎週じーさんのお墓参りに行ってんだけど。
その墓地にそのじーさんも来てるのね。
そのじーさんがいっつも俺に『K兄さん(じーさんの愛称)久しぶりじゃなぁ!!』って話しかけてくる(笑)
前までは『俺はK兄さんの孫で…』て説明しとったんだけど。
最近は『よう!元気にしとらしたか!!』てハイタッチして帰宅する事にしてる(笑)
きっとあのじーさんにとってはうちのじーさんと過ごした頃が一番幸せだったんだと思うし。
戦中だったから今より確実に命の危機とかあったと思うし(うちのじーさんは船乗りさんだったから魚雷とかで沈没しかかったりよく遭遇してたらしい)
食糧だってないに等しい状況だったと思うし。
食糧で思い出したけど。
うちのじーさんの最低エピソード結構あるんだけど。
じーさんがまだ小学五年生くらいのころに病弱な妹にだけお粥がこさえられるのね。
それを妹の部屋まで届けてっておっかあに言われて届ける間にペロペロつまみ食いしてたら妹の手元に着いた頃には3分の1あるかないかになっちゃったんだそうだw
病弱な妹に殴られたって言ってたw
あと配給品?で一家にこれだけって決まってる食べ物も食べ尽くしちゃってばーさまの着物とかも売れるものがなくなったら空腹に耐え兼ねたじーさんが一言『ちーと隣の未亡人のとこ行って食べ物稼いでくるでな!!』さすがにばーさまが止めたらしいw
どっか海外に行く途中に魚雷にやられて沈没しかかった時に足挟まれてもがれそうになったじーさまが一緒に働いてた弟に向かって一言『わしゃまだ金髪美女を抱いとらんで死ねんぞ!!』弟呆れたってw
でそっからじーさんは国にたどり着いたけど物資不足だったから麻酔薬とかもないままで膝切開してボルト埋め込んだ猛者。
その時の感想『多分な、あれは陣痛並みの痛みだった。それからわしゃおっかあ(ばーさま)を尊敬しとる。そっからだ、尻に敷かれとるのは…』って言ってたw
確かにばーさま五人産んでるからなー(^ω^)
内の三人はまだ小さい頃に亡くなったそうだけど。
おっとーとおばさんが残った訳だ。
じーさんはとにかく破天荒だった。
でも俺はこっそり憧れた。
俺ね、今でも覚えてる。
俺が保育園児だった頃、おっとーは出張ばっかで月に一回くらいしか帰ってこなくて、おっかあはパートで忙しかったから。
いっつも夜間保育の時間終わって迎えに来てくれるのばーさまだったんだけど。
ばーさまリウマチ持ってたから調子悪い時はじーさんが迎えに来てくれたんだけど。
レザーのジャケットにジーパンにグラサンでバイクで迎えに来てくれるのがめっちゃかっこいい!!て思った。
ほんで俺が中学生で一時期ちゃらっちゃらのちゃらちゃらになった時もじーさまだけはこう言った。
『どうせモテたいならそんなんじゃモテんぞ!わしがモテ方を教えてやる!!』
え?w
教わったよねー(笑)
やっぱすげーじーさんだったなーと(笑)
そんなじーさんが死んだのは俺が中学二年の時で。
色々とあって不登校になってた俺を最後まで心配したまま死なせちゃったのが心残り。
じーさんね、亡くなるその日の午前中に珍しく俺と二人きりになりたいって言っておっかあ追い出して二人で話したんだわ。
『わしは女遊びで破滅した。女は泣かせるな。男は女を守るために生まれて来たんだから。女を傷付ける為じゃない。お前は好きになった女を泣かせるなよ。わしは後悔しとるでな。あと、たまには男に走って見るのも悪くはないぞ。』
うんうん…うん…え?え?最後って必要?www
とか思いつつありがとうって言って別れて数時間でやばいってなってじーさんとこ行ったらばーさんでもおっとーでもおっかあでもなく、ねえちゃんでも兄貴でもなく、俺の手が良いって俺の手、真っ赤になるぐらい握りしめてさ…
『これが男の生き様だ…』
て亡くなったんだけど。
当時アホな俺は????てなってた(笑)
悲しさよりそっちのが残った(笑)
で、じーさんの死に目におっとーが仕事だからって来なくて(行けるけど行かないって選択した)おっとーが来たのはじーさん死んで五時間経ってからの事で。
迷惑な話、俺は怒りとか色々で病室前の廊下でぶん殴った。
初めて父親殴ったよ。
ふざけんなって。
どんだけ可愛がって貰ったと思ってんだって。
どんな思いさせて育ててもらったんだよって。
死に目くらい会いにこねーで何がせがれだボンクラって。
怒鳴って殴って蹴った。
人生で初めてあんなに激昂したよね。
俺普段のんびりのほほんが主体だからあんまキレるとかないんだけど(´・_・`)
その場見てたおっかあは止めなかった。
おっとーが俺を止めろって言ってもおっかあは止めなかった。
『それだけの事したんだから仕方ない。本来なら私がせんといかんのをユウスケがしてくれとるだけだで。』
ほんでおっとー俺に謝ったの。
それがまた無性に腹が立ってまた蹴った。
おっとーが動かんくなってから兄貴に止められた。
兄貴が『身に染みて分かっただろうな。これで自分が死ぬって時は誰も看取りに来てくれんって。』て。
だからうちは今も表面上は家族だけど、おっとーの死に目には誰もいかんって思ってる。
おっとーはそんだけの事をしたんだから。
自分の親父なのに来なかった奴は自分の息子にもされるんだよ。
俺も兄貴もじーさん大好きだったからな。
親父って多分じーさんのことだと思うし。
おっとーは今高校生の弟には割と親らしいことしてやってるけど、俺と兄貴に関してはまったくだったからなぁ(´・_・`)
どっか遊びに連れてってもらった記憶もあんまりない。
あるのは競馬に連れてってもらった覚えくらいなもんだ(笑)
おっかあともないけど。
おっかあはパート終わると帰りに必ず鬼饅頭買って来てくれて兄貴と食ってたからそれなりに覚えはある。
じーさんはバイクの思い出とお菓子取られて食われたって覚えと(笑)
ばーさんは色んなとこに俺と兄貴を連れてってくれた。
マイナーだけど。
モンキーパークにデンパーク、ビーチランド、香嵐渓とか…スキーからスケート、映画やら何やら…
たくさん思い出ありすぎる。
俺も兄貴もじーさんばーさんが大好きだった。
実際姉貴と兄貴と俺はじーさんばーさんと暮らして十年以上は家族だったからな。
弟は別宅でおっとーとおっかあに育てられてたけど、途中でやっぱり面倒見きれないってじーばーんちに預けられたからなー
だから俺ら上三人は弟を甘やかした。
すげー可愛がった。
またちっちゃい頃の弟がクソ可愛くてねー(笑)
ちなみに俺は小学校低学年まで姉ちゃん大好きだったから何でも姉ちゃんのまねしてて…だからかスカートはいたりしてた(笑)
あれ!マジ何だったんだ!?(笑)
だから中1の時に総合か何かの時間で小学校低学年の頃の写真を持って来いっていわれて焦ったっけ(笑)
スカート写真ばっかやった(笑)
でも結構当時の俺は可愛かったんで似合ってたけど(笑)
そんなこんなへこんだ一日だった←