地震から、20日経ちました
ちょっとは気持ちも落ち着いたかなあ
夜はまだ眠れないことがあったりしちゃう
精神的に大人になろうって決意したんだけどね
あの日は、自治医大にいてリハーサル中。
アンにみてもらうべく移動しようとしたら・・・
その瞬間、真っ白になって気が付いたら
りんさんと支え合って立ってた
もちろん電話はつながらなくて
お家にいるおじいちゃんおばあちゃんが
とても心配になった
かろうじてメールはできたから
みんなにメールして。
あとから知ったのだけど、
お家にはおばあちゃんひとりで。
動悸が起きて大変だったみたい
家族の無事は確認できてよかったけど
栃木市に帰れなくなった。
自治医大駅の塾を開放していてくれて
ろうそくをみんなで囲みながら。
國栃はえりともちゃんがいてくれて。
すごく心強かったよ。
2人がいなかったらって考えると
恐ろしいくらい!
先生が迎えに来てくれて帰れたのだけど
テレビを見たらなんか怖くって
あやめちゃんとお風呂入った。
寮はライフラインばっちりで、
でも余震はすごく怖くて
あやめちゃんの部屋でお世話になりました
さやかに会って、行動を共にしました。
食料調達して余震のたびに抱き合い←
さやかが居てよかった。
でもいろいろ不安な気持ちとか
むやみやたらにぶつけてしまった。
冷静になったいま、あれはないと思った
反省!
でもだれかが一緒にいてくれることの
安心感を噛みしめることができました
14日、おばちゃん家へ。
こどもは癒し!
ようたくん(3歳)、こうちゃんに元気をもらいました。
19日は1日だけだったけど募金活動。
温かさに泣けました。
美和さんなっちゃんさん大好き!
おばちゃんにも沢山お世話になった。
思えば、バスが通った時点で福島に
帰ればよかった、ってゆう後悔もしかり
20日、東京へ。
はるみちゃん家のほうがおじいちゃんは安心なんだと。
いとこにいろんなところへ連れて行ってもらった。
嬉しいけど自己嫌悪に陥ったり。
この地震で、原発は大変なことになってる。
わたしはここに逃げていていいのか?とか
自問自答してしまいましたとさ。
ふくしまに行かないのは帰れないんじゃなくて
わたし自身の行動力が少ないからなんだよね。
あと、あの9日?10日?の地震は予兆だったのかな?とか
あんな記事かいてる場合じゃなかっただろうと思ったり。
あーあ
もうすぐ10代も終わりなのに、
家族に心配かけてるわたし。
なんなんでしょう?
そこらへんのもやもやはいまだに晴れませぬ。
もうすぐ春がやってくる。
地球はただ動いているだけ
その動きに驚いて対応できずにいる人間の
無力さを改めて思い知らされた。
どうしてあんなものを造ったのだろう。
こんなことになるのなら、いらなかったかな?
みんな平等の発展力だったらなかったかな?
都庁が移動してたら造らなかったのかな?
この計画停電で見直して、
夏に電量が減って、二酸化炭素が減って、
地球に優しくなって、昔のうちわで扇いでいたころの
涼しさに戻ったりしないかな?
もう、負のループは抜け出して
ポジティブになろう!
やらない後悔より、やった後悔!よね