話題:歴史
復活したからにはやはり歴史は外せません。
初代総理にして国民にも人気だった伊藤博文。バ韓国人に暗殺後の国葬では多くの国民が弔問に訪れたと言います。
そんな伊藤ですが困った悪癖がありました。それは、
超の付く女好き。まさに手当たり次第の言葉がピッタリでした。((笑))
見かねた明治天皇陛下が「女遊びもいい加減控えなさい」とたしなめます。それになんと伊藤は、「真面目な顔をして隠れて女を囲う者もおりますが、私は誰にも迷惑をかけずに囲っておるのです。これがただ一つの楽しみです」
なんと陛下の忠告に対して堂々の女遊び止めません宣言。恐れ入ります。
明治の時代だからこそ許されたのでしょうが、今なら炎上必須でしょう。
話題:戦争について。
戦争とは外交の一手段でしかない。これが悲しいかな現実なのです。
大東亜戦争前夜、世界的不況打開を求めて満州に進出します。清国最後の皇帝溥儀を担ぎ上げ満州国を建国。
朝鮮同様に富めるようにすべきと尽力します。
しかし、時代は戦争拡大に向かってしまいます。泥沼の日中戦争です。
この満州国に深く関わったのが石原莞爾です。
彼の持論が世界最終戦争論なのです。簡単に説明すればソ連・欧州は衰退し、日本はアジアの盟主として米国と最後の決戦を行う。その為には国力を整えなければならない。
戦後、彼は戦犯として裁かれませんでした。当時の上官板垣征四郎はA級戦犯として死刑です。その実質的ブレーンだったにも関わらずです。
全ては連合国の都合だと言われています。
自分も戦犯だ。そう高原してはばからなかった石原莞爾。彼を通して見れば大東亜戦争の違う側面が見えてくると思います。
話題:歴史
新年おめでとうございます。昨年は休止期間が長かったので今年はこまめな活動をしたいですね。
新年最初はやはり歴史記事で行きたいと思います。
今年の大河は真田です。しかし、教育の記事には全く関係ないですね。(汗)
第一次大戦が始まると鉄などの物資を買い付けます。戦争での物資不足を予測してのことでした。
神戸の小さな問屋でしかなかった鈴木商店は三井や三菱をはるかに凌ぐ年商を上げるのです。
福沢諭吉の娘婿・福沢桃介をして、
『我が国の基礎工業に先鞭をつけたナポレオンに比すべき英雄』
そう言わしめました。
鈴木商店大番頭・金子直吉。
昭和恐慌の荒波を乗り切れず昭和2年に破綻してしまいます。しかしながら残されたグループ内の企業は日本を支えて行きます。
神戸製鋼、石川島播磨重工業、サッポロビール、日商岩井。
当然、債権者は金子のもとに駆けつけますが愕然とします。家の一軒も所有しておらず、財産など無かったのです。たった一つの財産は壁に掛けられた世界地図のみだったと言われています。
日本経済界が生んだ豪傑でした。
話題:戦争について。
12月は大東亜戦争が始まった8日があり、東京裁判で有罪とされた、俗に言うA級戦犯が処刑された23日もあります。本来ならは明日でも良いのですが、事情で本日掲載します。
8月15日に終戦とされていますが、その後も戦闘があった事実をご存知ですか?
広島に原爆が落とされて二日後、中立条約を一方的に破棄し日本に宣戦布告します。そうあのソ連です。
そして、15日を迎え終戦となるのです。
本来ならばここで戦闘は全て終結するはずでした。
しかし、領土的野心を持つスターリンは侵攻を止めませんでした。
8月18日未明、占守島沿岸にソ連兵が押し寄せます。
一度は武装解除していた日本軍でしたが、このままソ連の侵攻を許せば日本はどうなるのか。急遽武装をしなおしソ連軍と対峙します。
樋口中将、堤中将、そして士魂部隊の池田大佐ら歴戦の兵が奮戦。戦車隊の神様と言われた池田大佐以下、多くの将兵が命を落としました。
日本軍有利となり停戦を持ちかけるも、ソ連軍は使者を殺害する暴挙。最終的に武装解除がされたのは24日でした。
また、日本軍は停戦後を睨み、女子工員を予め逃がしていたのです。ソ連軍の一般市民への暴虐の数々はベルリンで証明されています。
占守島で戦った日本人には更に過酷な運命が待っていました。シベリア抑留です。
このように祖国の為に命をかけた旧日本軍。彼等は尊敬こそされ、蔑まれる必要など何処にもありません。
話題:戦争について。
12月8日。
我が郷土の誇り・山本五十六連合艦隊司令長官の下、大国アメリカに戦争を挑んだ日であります。
圧倒的な工業力の差がありながらも、国家の存亡を賭けて覇権の道を選びました。
大東亜共栄圏と言う大義の旗を掲げて!
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シールズのめでたい人々よ!
良く読むが良い!日本人の戦いを日本人が蔑んだとしても、外国人さえもが日本人の戦いを評価している事実を知れ!
靖国に眠る英霊達、本日は理性ある日本人ならばきっと尊崇の念を伝えていると思います。