どうも、ハウリルです。
たまには腐った話でもしましょうかねぇ。
最近の広告で見かけるBL漫画、なんというか、過激か変態かの二極化してきているような気がします。
過激な方は、人間性の狂暴化というか露悪化というか。性格最悪というか。要するに、攻めがとにかく鬼畜だったり、シチュエーションが監禁やら拘束やらといった、メンタルサディストじみた愛の無い交わりって言えばいいのか?
いや、そりゃ、物語のクライマックスにどうなるかは知りませんよ?でも、小説や漫画を買うときは、あらすじで興味を引かれるかどうか確かめるじゃないですか。
ケータイの広告は、つまりはあらすじなわけじゃないですか。そこで、こういう鬼畜めいた印象しか受けないって言うのは、なんというか。そういうのが流行なのかなー、って。
変態も、変態性癖が全面的というか。いや、別に変態じゃない性癖とかもありますけども。うなじフェチとか、パンツ泥棒とか。
なんというか、シチュエーションプレイというか。
……売れてるんだよね?やらしい話。
ああいう漫画がどういうき基準でどういうサイクルで広告になるのかがわかりません。とりあえず、新作が広告になったりするんだろうけどなぁ。
どうにも、そういうハードな奴には頭がついて行かない今日この頃なのです。
さーて、じゃあ、次のサイクルにはどんなBL漫画が流行るでしょうか。
「あの頃の私は昨日と同じ今日なんて考えなかった」
多分、ずっとこうなることは知っていたんだけど。
でも、こうなることを選択して。
じゃあ、過去を巻き戻せたら、違う選択をできるのか?
そう聞かれても、きっと同じ選択をするんだと思う。
もう、これ以上歩けない。私は。
無駄な時間とはどんな時間のことか。
おそらく、『何もしていない時間』が、
一番無駄だと思われることであろう。
では、この場合の『何もしていない』とは、一体何をしていないのだろうか。
結論から言えば、行動に移そうと考えてる時間が、一番何もしていないのではないか。
人間は、以外と『何もしない』ができない。
まあ、隙あらば色んなことを考えてるからだ。
例えば移動中だって、道順を考える。予定を考える。暇つぶしに取り留めもないことを考える。
目的地から目的地へと移動する間は意外と長いし、移動中以外の行動もできないから限りなく無駄に思える。しかし、案外移動中は頭が活発に動いてるものだったりする。こう、自転車漕いでる時にこそ面白いネタが浮かんだりするのよ。問題は、自転車漕いでるからメモができないことかな。
それはさておき。目的地と目的地を繋ぐワープポータル的な物で世界が繋がっても、時間をかけて移動することは無駄ではないと思える。
ただ、これと似ているのに全く違うことが、『何もしていない時間』だと言えると思うのだ。
手っ取り早く言えば、起きた直後の「起きよう」とか、「動こう」とか。
まぁ、起きないし動かないよね。そういうことを言いたいの。
行動をしようと考えてはいるのに、その行動に移さないセルフ金縛り状態。これほど『何もしていない時間』というものは無いと思う。
無駄なことなんて何もないだなんて胸を張って言えるように、そういう無駄な時間すら自分の糧に出来たら良いものだ。
あー働きたくない。←
金を稼ぐのが目的別仕事は向いてない。結局私は、無益なことしかできない性質なんだわ。_(:3」∠)_
どうも、ハウリルです。
私だって。人を嫌うことはあるんですよ。
そこまで良い人じゃないんで、とは言いませんが。はい。私はかなり良い人なんで。(いけしゃあしゃあ)
とはいえ、嫌いな人もできるわけで。
まあ、友人の全てが好きだと言うほど寛容でもってないんですけど。でも、世の中ってそんなもんで。好きな人にも嫌いな部分があって、嫌いな人にも好きな部分がある。
いや、まずは、人を嫌わないようにしてるので、苦手な人にも尊敬できる部分がある。と、言い換えましょうか。
つまり、尊敬できない苦手な人が、嫌いな人になっていくというわけで。
気持ちの悪いこと甚だしく、腹立たしいことこの上ないですね。
だからって、「こんなこと考える自分、ヒドいよね…」なんてかわいそぶるヤツもむかつくので、自分でそんなことはやりませんけど。
まあ、ちょっとじゃないムカつく人がいたんだな、とでも思ってくだされば。
関わりたくないなら断崖絶壁のごとく冷たく厳しく切り捨てればいいのに、それができないのは、どうしようもない私の甘さですから。
あーあ。ケーキ食べたいココア飲みたい。
今、「ココア」で変換しようとしたら、予測変換に「心愛」の文字が出た。心愛ちゃんェ…。
そんなわけで、ハウリルでした。
どうも、ハウリルです。
来週の日曜日は、大震災から一年が経ちますね。
恐らく方々で、震災発生の時間頃に黙祷を捧げる方々がいらっしゃると思います。
確か、その時間帯ゼミの飲み会前哨戦のカラオケ大会だわ。
あー。誰かが人の死を悼んでる間に、私はカラオケで思う存分叫んでるんだな。
っていう不謹慎ジョーク。
いや。別にさ。
人に強制されることじゃないでしょ?人を悼むことって。
誰かさんには誰かさんの人生があるように、その人にはその人のタイムラインがあるんだから。
一分間黙ることを「黙祷」っていうの?
それは違うでしょ。
大きな事件で死んだ人間以外には「黙祷」は捧げないの?
それは勝手でしょ。
だから私は、私が思った時に勝手に人の死を悼もうじゃないか。
時間とか、黙祷とかじゃなく。
ふと、思い出そうじゃないか。
それが、私の「勝手」だ。
大震災は結局、人間の醜さや政府の役立たずさをあらわにしてくれた。
天が怒りに震えているのなら、きっと地がそれを人に伝えたんだ。
なんてことは微塵も思わないが。
優しくない私は、たった一分思い出すだけの「優しさ」に、優しさを感じないのです。
上辺だけ取り繕ってるみたいに感じちゃってさ。
黙った一分間、何を考えているんだろうね、って。
それでも黙祷をしてくれる方は、どうか多くの魂が安らかに眠れることを祈ってあげて下さい。
見ず知らずの人へ。
同情はせずに。
ただ、祈ってあげて下さい。
あなたの行為が。
あなたの好意が。
“偽善”、と、揶揄されませんように。